木やアルミニウムといった素材をへて、山本莞二氏が真鍮を素材と
 した作品に取り組みはじめたのは1980年頃とのことだ。私が初め
 て山本氏の作品に触れたのは1980年代半ばであったと記憶してい
 るが、今日に至るまで、彼は一貫して棒状の真鍮を素材とした作品
 を追究してきている。比較的シンプルな構成の作品であり、その点
 でも一貫しているようだ。したがって、私の知るこの十年の範囲で
 は、作品に大きな変化は見られない。しかし、作品には微妙で確実
 な変化があり、そのことがかえってこの作家固有の資質を物語って
 いるように思える。真鍮を削り、磨き、溶接し、さらに磨くといっ
 た作業が、作品制作の工程であろう。地道な作業というよりほかは
 ない素材との格闘であるが、こうした作業によって真鍮棒に緩やか
 なふくらみが加えられ、真鍮の表面に光沢が与えられる。一貫した
 制作姿勢が真鍮という素材に対する習熟をもたらし、作業の過程で
 得た新たなインスピレーションが作品展開へのバネになってきたに
 違いない。山本氏の作品は、ゆっくりとであるが、確実に変化して
 きている。長い年月をかけた静かな熟成がこの作家の資質なのだと
 思う。例えば、1993年の個展での発表作「光の風景’73-5」は、
 そんな熟成の成果をうかがわせる作品であった。真鍮棒による直方
 体的な構成物を複数、規則的に並べた作品であったが、脚部の棒は
 床面に近いほど細く、鋭くなっていた。上部に量感はかたよるが、
 下方の鋭さと絶妙なバランスがとられ、作品にある種の緊張感が生
 まれていたように思う。この危うい緊張の中で、真鍮の柔らかな輝
 きが強調され、真鍮という物質から光沢が自立するかのようであっ
 た。山本氏は、1936年生まれで、幼年期は戦争中であったという。
 当時の回想が書かれている短いエッセイを読ませてもらったが、空
 襲のさなか、降り注ぐ焼夷弾の輝きを美しいと感じてしまったと記
 してあった。この回想を作品に直接に結びつけるつもりはないが、 
 作家の輝くものへの感受性の強さを伝えている。そして、その感受
 性においては、尋常ではない緊張した状況と輝くものが密接に絡み
 合っているように思えるがどうだろうか。また、今後、風景の中で
 のインスタレーションを試みたいという。それも、できるだけ荒れ
 果てた風景がいいというのである。こうした発想からも、彼の「光
 の風景」がどんな方向性をもつかが分かるであろう。
 これまでは直線を基本とした構成が主であったが、最近作の一部に
 は有機的な曲線が登場してきていることにも注目したい。静かな熟
 成の中に、次の段階への兆しが生まれてきているのかもしれないか
 らである。興味深い展開が見られるものと思っている。

                    三頭谷鷹史(美術評論家)

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